佐野光德(さの みつのり)職歴
- 1952
- 大阪府堺市生まれ
財団法人大阪国際フェスティバル協会、株式会社梶本音楽事務所、株式会社高柳音楽事務所などを経て1981年、クラシック音楽のマネジメント会社「株式会社ナサ・アーティスツ・ビューロー」を設立(1985年には社名を「株式会社ナサ」に改名)。
- 1981
- 井上頼豊、堤剛、安田謙一郎、藤原真理をはじめとした斉藤秀雄先生の門下生28人を集めた「斉藤秀雄先生を偲ぶチェロ・グランド・コンサート」をプロデュース。これがサイトウ・キネン・オーケストラのきっかけとなる。
- 1985
- 広島被爆40年目に、レナード・バーンスタインを音楽監督とする“広島平和コンサート~世界巡礼の旅(広島・アテネ・ウィーン・ブタペストで開催)”を企画し世界的な反響を呼ぶ。この公演はヴァイオリニスト五嶋みどりの日本デビュー公演となる。
- 1990
- レナード・バーンスタインオフィスの代表より、アジアでの教育音楽関係の可能性について相談を受け、“パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)”をプロデュース。当初、北京・上海で開催の予定が、天安門事件のため企画を断念。ローマにて、レナード・バーンスタイン氏と、バーンスタインオフィスエグゼクティブプロデューサーのハリー・クラウト氏に、日本の札幌で開催することを提案し、決定。第1回の企画運営全般の総合プロデューサーとして指揮を執る。第2回からは運営を札幌市に移管し、2003年第14回まで企画担当コーディネーターおよびアドバイザーを務める。また、PMFファンデーション・ニューヨーク本部の副理事長を務める。
- 1991
- ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の創立150周年記念世界ツアーのスポンサード及び日本ツアーをプロデュースする。
- 1994
- 世界的テノール歌手プラシド・ドミンゴが1993年に創設した、国際オペラコンクール「オペラリア」の94年第2回メキシコシティ大会、95年第3回マドリッド大会、96年第4回ボルドー大会におけるアジア、オセアニア事務局を運営し、日本およびアジア、オセアニア地区の予選大会実施やPRを全面的に担当。
- 1995
- 株式会社ナサの代表取締役を退き、「株式会社クリスタル・アーツ・プランニング」を設立。
- 2001
- 21世紀の年明け1月1日から、弱冠12歳であった五嶋龍のデビューリサイタルをプロデュース。同一ホール、同一プログラム連続10回公演にもかかわらず全公演チケット即日完売。
- 2002
- 社団法人日本クラシック音楽事業協会会長就任(2007年退任)。
- 2003
- 「2002FIFAワールドカップ」決勝戦開催地横浜の「横浜みなとみらいホール」にて、JOWOC(日本大会組織委員会)主催、大会開催1周年記念公式コンサートを企画、プロデュース。共同開催国である日本、韓国のトップアーティストによる競演、ワールドカップ同様世界中のオーディションを経て集めた若手演奏者によるオーケストラによって、大会やサッカーに関連した演目、演出で2回に渡る公演を成功に収める。
- 2004
- 株式会社クリスタル・アーツ・プランニングを株式会社クリスタル・アーツに改名。
- 2005
- NHK放送80周年記念番組「被爆60年 平和巡礼2005」の音楽関連企画をプロデュース。音楽の力で国家や民族の壁を越え、「憎しみより和解を」という願いを被爆地から発信するというコンセプトで、8月6日広島平和記念公園内特設ステージ(平和祈念式典以外での公園利用は史上初)、8月9日長崎浦上天主堂にてコンサートを実施。ワールド・ユースオーケストラ、五嶋龍、ミシャ・マイスキー、佐渡裕、佐藤しのぶ、吉永さゆり等を起用したコンサートの模様は、NHK初の試みとして、総合テレビ(広島)、BS2(長崎)によるメッセージ番組と衛星ハイビジョンによる音楽番組として同時中継された。
- これまで、佐渡裕、五嶋みどり、佐藤しのぶ、五嶋龍、シエナ・ウインド・オーケストラを始め国内外で活躍する数多くの日本人アーティストを世に送り出している。
また、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団(初来日)、ロンドンシンフォニー、18世紀オーケストラ、BBCフィルハーモニック、ベルリン・ドイツ交響楽団などの著名オーケストラや、レナード・バーンスタイン、クリスティアン・ティーレマン(初来日)を始めとする著名指揮者、トーマス・ハンプソン(初来日)やクリスタ・ルートヴィヒ、エマーソン・カルテット(初来日)を始めとする著名音楽家の招聘にも枚挙に暇がない。
さらに、「佐渡裕のヤング・ピープルズ・コンサート」や「サントリー1万人の第九」等、数々のイベントのプロデュースをした。
2018年7月20日に株式会社クリスタル・アーツの代表取締役社長を辞任。
2019年3月「音楽プロデュースに尽力し我が国の芸術文化の振興に多大な貢献をした」として文化庁長官表彰を受ける。